僕は何かを創り出して、誰かがそれを見てくれる聴いてくれるそんな将来像を数年前までは描いていました。

実際のところはそれは夢でしかなかったし、怠惰に時間を消費しきってしまった今の僕にとっては幻と言ってもいいかもしれない。




数年前、高校生の頃は大学生に、大人に、漠然とした憧れとかそういうものを持っていた。外界から遮断された小さな箱庭から出ればすべてが自由で、すべてが手に入るような気がしていたんだと思う。
努力が苦手な僕は、いつも「大学生になれば」「今よりもお金があれば時間があれば」、そうやって努力をしない言い訳を自分にしていた。




手の届かないものを立ち上がって手を伸ばすくらいのことはしていたと思う。それでも見えないところにあるものに向かって走っていくような、そんなことはできなかったしそんな体力は持ち合わせがなかった。




周囲の才能溢れる若者たちはきっと走っていた。どこで自分は勘違いしたのか、追いつけるような気がしてたんだよね。才能ないんだから全力疾走でフルマラソンしなきゃいけないのにね。




結局大学生になった僕は、周囲の才能溢れる同世代に対して羨望、というより深い嫉妬を持ちながら生きることになった。




大学生になっても僕は「まだ1年」「まだ2年」って、言い訳してたな。流石の僕も少しは態度を改めた。努力も、したと思う。正直胸は張れない。
あの日同じところにいたと僕が愚かにも認識していたかっこいい彼らは、もうどこにも見えなくなっていた。




気付いたら僕はもう虚飾でしか自分を保てなくなっていた。




薄汚い自尊心が残っていたのか、走り始めようとできたのかはわからないが、自分の時間を作るために、一念発起して大学3年で一人暮らしを始めた。もっと音楽に向き合いたかった。

経済的に不利な家庭に生まれたから毎日生きるので必死だ。それもわかっていた。それでも、よかった。少しだけ自分を取り巻く大嫌いだったものから解放された気がした。




とはいえそう簡単に何かが得られるはずもなく、大学4年になった今日をまた消費している。




気付けば季節にも置いてきぼりを食らうようになった。
肥大した自尊心から抽出された偶像的な理想とリアルとのギャップが身体を雁字搦めに掴んで離さない。




僕は昨日の自分を救ってあげたいけれど、今日の僕は誰かに救って欲しい。昨日の自分達の死体で出来た泥沼で毎日もがいているけれど、それだけ。もがいているだけ。どうにもできない。



漸く僕は、自分が矮小な凡夫であることを認めることができた気がする。いつからかはわからないけど、気付いた。




それでも僕はやっぱり凡夫なりに何かを創ってみたい。凡夫でもいい。だけど、誰かじゃない誰かになりたい。
やりたいことは昔と変わらないけど、心持ちは違うのかな。





そんなことを考えて始めて幾らかしたある日、今日なんだけど。
一人暮らしを始める前に働いていたバイト先の同僚がブログを書いているのをたまたま見た。




なんかわからないけど、よかった。
彼女は別段優れた大学に行っているわけではないけど(勿論大学の偏差値で人は測れないしそういう意図もない)、映画や小説が好きな子で映画製作について学んでいる、らしい。

芸術に携わっているからかはわからない、才能があるのかもわからない。だけど文章に惹きつけられた。すごいと思った。僕も書いてみたいと、思った。




大きな一歩を踏み出すのが難しい僕はこうやって少しづつ進んでいくしかないんだと思う。
つまるところハードル低いしとりあえずやってみよう、というところである。




正直小説はそれほど好きではないし普段読むわけでもないから文章力には自信がないが頑張ってみようと思った。



願わくば、これが始まりの一歩でありますように。







文章に起こしてみると鬱屈した気分が少しは晴れたような気がする。
今日は、雨が降っている。